図書館と吉村昭

図書館がなければ、小説は書けません
私にとっては、旅をするということは図書館に行くことなんです。
なにしろ図書館にしか行かない。

入念な取材をもとにした数多くの作品を生み出した吉村昭氏

「死とはなにか」「生とはなにか」を主題に、人間の本質を探究し、純文学のみならず、戦史・歴史・医学・動物など幅広い題材を扱い、記録性の高い作品を数多く発表しました。

吉村昭氏は取材で訪れた日本全国の図書館で、図書館員に会い、資料と出会っていました。
雑誌『図書館の学校』2000年4月号には、「図書館がなければ、小説は書けません」という巻頭インタビューが収録されています。

私にとっては、旅をするということは図書館に行くことなんです。なにしろ図書館にしか行かない。その土地の名所旧跡を訪ねるなんてことはありません。長崎は好きな土地で、100回以上訪れていますが、大浦天主堂には実はまだ一度も行ったことがないんですよ(笑)。

時には地元の人さえ知らなかった資料を図書館から見つけ出してしまうほど、吉村氏は資料をさがす経験と勘があったそうです。

吉村氏の図書館に対する想い

荒川区にも吉村氏の図書館に対する想いを感じるエピソードがあります。
荒川区は、平成18年(2006)1月に、文学館を設置したい旨を吉村氏に申し入れました。
吉村文学を通してより深く文学や芸術に触れる機会を区民に提供し、文化活動の更なる醸成に資する目的で文学館を設立したいとの考えでした。
これに対し吉村氏は、区の財政負担を考慮し、単独の文学館ではなく図書館等の施設と併設することを条件に文学館の設置を承諾し、資料提供を約束したのです。
平成29年(2017)3月、ゆいの森あらかわに吉村昭記念文学館は開館しました。

文学館開館に際し、吉村氏の妻であり作家であり、またゆいの森あらかわ名誉館長である津村節子氏が寄せたメッセージにも、このことが綴られています。

吉村昭は、荒川区東日暮里に生まれた。
ふるさとをこよなく愛しており、折々に訪ね歩いていた。
吉村の生前、荒川区長西川太一郎氏から吉村昭記念文学館を建てたいという申し入れがあった時に、区民の税金を自分の施設などに使うのは本意ではないと固辞したが、区長の熱意に押され、最終的には図書館のような施設と併設であればと、有難くお受けした。

図書館という資料と人が集う場所に、文学館を開設することを望んだ吉村氏。インタビューの中で、図書館について語っている。

ある都市の文化度は、そこにある図書館で決まると思います。
知識の豊かな人をきちんと置いてほしいということですね。図書館員にも定年があるのはしかたないにしても、経験豊かな人は定年後もぜひ図書館に残すべきです。

雑誌『図書館の学校』2000年4月号・通巻004号/図書館流通センター