あらかわ遊園のむかしと今

大正11年に開園されたあらかわ遊園は、戦前には約2万坪の土地に池や滝、築山があり行楽地や避暑地として利用されていました。 その後、第二次世界大戦時の閉園を経て、昭和25年に子どもたちのための健全な社会環境の育成を目指し、区営の遊園地として再び開園しました。
近年では平成30年12月から一時休園し、令和4年4月21日にリニューアルオープンしています。

現在の荒川遊園は区立で、終戦後新たに設立され、尾久町七丁目二二五番地にあつて面積は七二二八坪であるが、戦前王子区(現地区)の一部にまたがつて、約二万坪の遊園地がここにあつた。

新修荒川区史 下巻』p.770より

入園ゲート

【左】昭和25年(1950年) 区営になった当初の入園ゲートの写真です。
【右】令和4年(2022年)

観月橋

【左】大正12年(1923年)9月以降

荒川遊園内の施設や風景を写した7枚組みの絵葉書の1枚。龍宮館の中央にある塔は、大正12年9月の関東大震災で被害を受けたといわれ、中央から切断された形状となっている。
絵葉書「(あら川遊園)観月橋ヨリ龍宮館及売店ノ一部」(荒川ふるさと文化館蔵)

煉瓦のある風景』 荒川区立荒川ふるさと文化館 2011年2月 p.34より

当時の施設としては、中央の観月橋際の竜宮館、北側川岸沿いに本家茶屋の檜御殿があって互いにその建築美を競った。 又園内にくまなく廻らされた水上建築は大竜の清流とともに納涼客を賑わしめた。 その他、大浴場、映画館、水上自転車、飛行塔等、各種の子供乗物や運動器具も完備し、動物園には猿、鶴、熊、孔雀等が飼育されていたのである。

荒川区土木誌'71』p.156より

【右】令和4年(2022年)

観覧車

【左】昭和61年(1986年)
【右】令和4年(2022年)

リニューアルを経て現在は40メートルの高さになりました。

終戦後荒川区において、附近に適切な遊園地がないことに着目し、昭和二十五年八月綜合遊園を設置した。 園内には飛行搭・豆電車・豆自動車・木馬その他の遊戯施設や、ローラースケート・プールなどの体育施設のほか、小動物園・花園・薬草園・売店などもあつて、城北における唯一の子供の楽天地となつており、昭和二十八年度の 入園者数は、三六四、〇六三人にも上つている。

新修荒川区史 下巻』p.771より

所在地

東京都荒川区西尾久6丁目35−11

あらかわ遊園公式サイト

参考文献

1 『新修荒川区史 下巻』 荒川区役所 1955年3月

2 『荒川区土木誌'71』 荒川区土木部 1971年12月

3 『写真で見る60年のあゆみ-あらかわ遊園開園60周年記念-』 荒川区地域振興公社 2011年3月