回向院(小塚原回向院)

南千住駅すぐ側のコツ通り(東京都道464号)沿いにある回向院は、浄土宗のお寺で、正式名称は豊国山回向院です。現在の本堂は、昭和49年(1974)に建立されていますが、創建は寛文7年(1667)の江戸時代になります。本所回向院(墨田区)が、小塚原の刑場の地を持地とし、別院として常行庵(回向院下屋敷)を建てたのがはじまりです。なお、小塚原の刑場跡は、荒川区指定記念物(史跡)に登録されています。

寛文七年(一六六七)回向院の持地となった。本所回向院は万治年中以来牢死者や行き倒れ人などの無縁仏の回向をしてきたが、境内も狭くなったので、刑場の地を持地とし、(いおり)を建て、刑死者や無縁仏の菩提を弔うことになった。

(『荒川区史』平成元年版 上巻 p.702より)

入って右側に観臓記念碑(荒川区登録記念物(史跡))があります。明和8年(1771)に、杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らが、ここで腑分け(解剖)を見学し、オランダ語版解剖書『ターヘル・アナトミア』の翻訳をはじめ、『解体新書』を刊行した記念碑となります。この記念碑は、大正11年(1922)に建てられましたが、戦災により破損し、『解体新書』の扉絵をかたどった青銅板だけを移し、新たに再建されています。

大正十一年奨進医会の発企して建てたものである。げにも、明和八年三月四日、小塚原において行われた腑分は、わが医学史上特筆すべき事件であつたばかりでなく、わが荒川区においても、永く紀念さるべき出来事であつた。

(『新修荒川区史』昭和三十年版 上巻 p.674より)

【左】吉田松陰の墓(荒川区登録記念物(史跡))
【右】橋本左内の墓(荒川区登録有形文化財(歴史資料))

平成18年(2006)に墓地全面改修された史蹟エリアには、安政の大獄で刑死した吉田松陰や橋本左内ら、また、桜田門外の変・坂下門外の変などに関わりある志士の墓碑があります。恩赦や明治時代以降に、菩提寺など関係各所に改葬されており、記念墓となっています。吉田松陰の墓は、長州藩若林抱屋敷(世田谷区。現松陰神社)に改葬され、橋本左内の墓は、福井県の橋本家墓地に改葬されましたが、明治26年(1893)に墓石のみが移されています。

文政五年(一八二二)に相馬大作・関良助が刑死してからは国事犯を埋葬するようになった。

(『荒川区史』平成元年版 上巻 p.1525より)

【所在地】

東京都荒川区南千住5丁目33−13

【参考文献】

1 『荒川区史』上巻(荒川区 1989年)

2 『新修荒川区史』上巻(荒川区 1955年)

3 『杉田玄白と小塚原の仕置場』(荒川区立荒川ふるさと文化館 2007年)

4 『橋本左内と小塚原の仕置場』(荒川区立荒川ふるさと文化館 2009年)

5 『史蹟回向院』(浄土宗 豊国山 回向院 2007年)