浄正寺

三河島駅から北側へ明治通り方面に行くと、浄正寺があります。文亀3年(1503)創建の浄土宗のお寺で、江戸期には3,500坪ほどの広大な面積を有していました。季節の花が咲く境内を進むと、奥が本堂です。現在の本堂は昭和8年(1933)に建立され、戦火をまぬがれました。現在では貴重な木造建築となっています。敷地内には、文安6年(1449)銘の板碑など多くの石碑や石仏のほか、三河島の名主・松本市郎兵衛の墓所や、昭和37年(1962)5月3日に起きた国鉄三河島事故の犠牲者を慰霊する三河島観音像があります。

「法界寺の南西に清国山浄正寺がある。別に快楽院とも号し、浄土宗芝増上寺末である。本尊は阿弥陀如来で高さ三尺八寸余、作者は不明である。いまを去る四百五十余年前、後柏原天皇の文亀三年に鏡誉存罔和尚によつて開山され、中頃頽廃に及んだが、天明年間第十四世観誉和尚によつて中興され今日に至るまで四百余年の寺統を伝えている。」
「明治維新の頃、時の住職松海和尚が当寺に寺子屋を開いた。明治四年十月の調書に生徒数男子八人、女子十一人と記されてある。」

(『新修荒川区史 昭和三十年版』下巻 p.1084~1085より)

山門

本堂

本尊

三河島事故慰霊碑(三河島観音)

昭和37年(1962)5月3日の夜、常磐線三河島駅構内で鉄道の衝突事故「三河島事故」が発生しました。死者160人という大惨事でした。 近隣の人々は、死傷者を浄正寺まで担架に乗せて運ぶなど協力し、助け合いました。浄正寺の本堂前には、この時の犠牲者を供養する三河島事故慰霊碑「三河島観音」が安置されています。

事故後訪れる人の為に、境内の庭は、常に何かしらの花が咲くようにしているそうです。常磐線土手のコンクリート工事の際、事故現場の土手に咲いていた一部のツツジの花は、浄正寺に運ばれ植え替えられました。それ以来、ツツジは毎年花を咲かせています。

浄正寺の区登録文化財

 

【左】板碑(文安六年七月三日銘)
【中央】宝篋印塔(元和七年八月十五日銘)
【右】庚申待供養碑(寛文六年十月十三日銘)

【所在地】

東京都荒川区荒川3丁目53−1

【参考文献】

1 『新修荒川区史 昭和三十年版』下巻(荒川区 1955年)

2 『荒川区史 平成元年版』下巻(荒川区 1989年)

3 『あらかわの史蹟 文化の流れに史蹟・文化財を探る』(荒川史談会 1973年)

4 『荒川区の歴史』(名著出版 1979年)

5 『荒川区史跡散歩 新版』(学生社  1992年)

6 『荒川区の文化財 (一)』(荒川区教育委員会  1986年)

7 『荒川区の文化財 (二)』(荒川区教育委員会  1992年)

8 『荒川区の文化財 (三)』(荒川区教育委員会  1997年)