PICK UP EXHIBITIONS「長崎と私~吉村昭 百七回の探訪~」

「長崎は、私の好きな町である」



吉村昭記念文学館では、生涯107回訪れた町「長崎」と吉村昭氏の関わりを作品を通して紹介しています。
長崎更紗(さらさ)(※1)をイメージした赤の文様と長崎名物カステラをイメージした黄色と白の色鮮やかな入口のゲートをくぐると、まずは「戦艦武蔵」の展示がはじまります。

※1)長崎更紗…17~18世紀に日本にもたらされたインド製の更紗に刺激されて、江戸時代後期から明治にかけて各地で製作された和更紗のひとつ
 

『戦艦武蔵』から始まった

吉村昭氏が初めて長崎の地を踏んだのは、昭和41年「戦艦武蔵」の取材でした。
友人のロシア文学者・泉三太郎氏から戦艦武蔵の建造日誌を渡され、これで小説を書いてみないかと言われたことが執筆のきっかけです。

「武蔵」が、巨大な生き物に思えてきた。(略)私の胸の動悸はたかまった。イメージは、急速にふくらんできている。

(『戦艦武蔵ノート』岩波書店)

取材時に受けた並々ならぬ衝撃と強い思いがつまったこの作品は、ベストセラー小説となり、作家としての地歩を固めました。
のちに吉村昭氏は、推敲時に進水場面では嗚咽することもあったと話しています。

「戦艦武蔵」を書くことがなかったら、その後、戦史小説も、事実を素材にした小説も、
 そして、おそらく歴史小説すらも書くことはなかったにちがいない。

(『吉村昭自選作品集』第二巻 平成2年 新潮社)

今回は、戦艦武蔵の資料を所蔵している三菱重工長崎造船所史料館が工事で閉館しているため、数々の貴重な資料をお借りすることができたそうです。

【戦艦武蔵の進水式で使用された斧と台】
 三菱重工長崎造船所史料館からお借りした、支綱を切断する斧と台。
 台には切断した際の斧の跡が残っています。
   80年以上前のものとは思えない鋭い輝きを放ったこの斧が、海に沈んでしまった戦艦武蔵の存在を私達に伝えているようでした。

歴史小説

【津村節子氏寄託資料】

「戦艦武蔵」執筆後も、吉村昭氏は歴史小説の取材や調査で長崎を度々訪れています。
膨大な資料を読み解き、小説を書いたことでも知られる吉村昭氏。
貴重な自筆原稿や連載時の挿絵、収集した資料の一部も展示されています。

付箋の数が印象的です。
史実を動かさず、固執せず、現地に何度も足を運ぶことで、吉村昭氏は多くの歴史小説を書きあげました。

長崎奉行

長崎県は平成10(1998)年、長崎を頻繁に訪れ、長崎を舞台にした作品を多数執筆している吉村昭氏に、来崎100回記念に講演を依頼。
この時、長崎県知事より、長崎奉行に任命されました。

【津村節子氏寄託資料】

長崎くんち

【津村節子氏寄託資料】

長崎の祭りと言えば、江戸時代から続く「長崎くんち」が知られていますが、吉村昭氏も気に入って何度も足を運んでいました。
縁起物として手ぬぐいを撒きますが、それを受け取れるとさらに縁起がよいと言われています。

写真師・上野彦馬

上野彦馬は幕末から明治にかけて活動した写真家で、日本で初めて営業写真館を長崎で開業し、坂本龍馬や高杉晋作ら幕末の志士を撮影しました。
長崎で県立図書館の傍に立つ彦馬の銅像を目にした吉村昭氏は、彦馬に関する資料を集め、「上野彦馬の写真には、上質のロマンが漂っている」(※2)と関心を寄せていました。
次回作は上野彦馬の生涯だったかもしれないと思わせるエピソードです。
会場には吉村昭氏が推薦文を寄せた『写真術師 上野彦馬』(八幡政男著)など彦馬の関連本が展示されています。

※2)『七十五度目の長崎行き』 平成21年 河出書房新社 「元祖写真術師上野彦馬 みつびし余聞・5」より

展示を見た後も


今回の企画展では、オールカラーの素敵な冊子が配布されています。

「長崎で私が熟知しているのは、県立図書館と思案橋だけです。」
と記した作家の「だけではない」長崎の人、町への愛情が感じられます。
これから作品に触れる人も楽しめる内容となっていますので、ぜひ、足をお運びください。

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