日暮里・谷中の総鎮守「諏方神社」

 諏方神社は、日暮里の町を一望できる景勝の地・諏訪台にあり、「おすわさま」と呼ばれている日暮里(旧:新堀(にっぽり)・谷中の総鎮守です。
 その入り口となる大きな鳥居をくぐり、一五〇〇坪(三三〇〇平方メートル)余りの境内に足を踏み入れると、見事な大樹に囲まれ、都心とは思えない閑静な空間に身を置くことができます。

諏方神社 諏方神社
【写真 諏方神社鳥居】​​​​​​

諏方神社の由緒・祭神

 諏方神社は荒川区西日暮里三丁目4番8号に座し、江戸時代でいう新堀村(にっぽりむら)谷中(やなか)本村(ほんむら)(現荒川区)と、()中町(なかまち)(現台東区)の鎮守様として名高い名刹です。
 「諏訪大明神略記」によると、元久二年(一二〇五)二月十二日、豊島左衛門尉(としまさえもんのじょう)(つね)(やす)が神殿を造営し、鎮守としたのが始まりと伝えられています。信濃国の諏訪社を勧請(かんじょう)し、同社と同じ祭神である(たて)御名方(みなかたの)(みこと)を祀ります。
 社名の「訪」の字には「方」が当てられていますが、これは本崇社である信州諏訪大社の古い神社名と伝わっています。
 中世から近世にかけては、「諏方」の表記も併せて多く用いられていましたが、近年になってからは全国的に地名や人名などにおいて「諏訪」が通常の表記となり、「諏方」は使われなくなっていったそうです。しかし、諏方神社では、所蔵している元禄時代の掛軸(細井廣澤書)に「諏方大明神」とあることに拠り、御社名を「諏方神社」としているとのことです。

諏方神社    諏方神社 
【写真 諏方神社社殿】

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 江戸後期にできた『新編武蔵風土記稿』の新堀村の条には
「諏訪社 村内及谷中の惣鎮守とす、一寸許なる薄黒き圓石を神體とす」とあり、
『北豊島郡誌』(大正七年刊行)には「村社諏訪神社」として、次のように記されている。
大字日暮里字地蔵前一番地に在り、日暮里谷中の総鎮守にして、高岡に倚り、
更に壇上に鎮座す、祭神は建御方命なり、…(中略)…元久二年二月豊島左衛門尉經泰、
信濃国諏訪神社の分霊を祀る所にして後に太田道灌邸内の鎮守に崇むという、
例祭は八月二十七日、…(後略)

(『日暮里の民俗(荒川区民俗調査報告書 5)』 p.181~182)

太田道灌や徳川家との(ゆかり

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 諏方神社に伝わる縁起には、室町時代に江戸城を築いたとされる太田道灌も登場します。
 文安二年(一四四五)には、太田道灌が日暮里に出城を築いた際、神社の建物を修復し、城郭内の鎮守として五(こく)の領地を寄進したといわれています。
 また、慶安二年(一六五〇)には、徳川三代将軍家光から社領五石の朱印を与えられているという(ゆかり)のある神社です。

元久二年(一二〇五)、豊島左衛門尉経泰の造営と伝えられる。
その後、文安二年(
一四四五)には、太田道灌がこの地を江戸の出城として修復し、
城郭内の鎮守としたという。

(『荒川区史 平成元年版 上巻』p.1538)

文安ごろ、太田道灌が江戸郭内の鎮守として五石を寄進したといい、
その道灌の黒印状なるものにより、慶安二年(一六五〇)、
徳川三代将軍家光から社領五石の朱印を与えられている。

(『荒川区の歴史(東京ふる里文庫 19)』 p.218)

年間行事

 例大祭は八月二十七日で、三年に一度大祭と称して、本社の神輿(みこし)を日暮里・谷中地区で渡御(とぎょ)します。
 江戸時代には、旧暦でいう七月二十七日が祭礼日となっており、江戸の年中行事を解説した『東都(とうと)
歳事記(さいじき)』にも紹介されています。
 さらに古い時代のお祭りは、神輿(みこし)芋洗(いもあらい)(ばし)(現神田(かんだ)昌平(しょうへい)(ばし))まで担ぎ、そこから船で隅田川を遡り、荒木田(あらきだ)の郷(現町屋八丁目付近)で御神酒(おみき)を供えてから帰社したと伝えられています。

諏方神社
【写真 諏方神社祭礼のぼり】

文献に見られる祭礼の様子 日暮里の諏方神社については
いくつかの文献に描かれてきているが、『東京年中行事』(明治四十四年成立)には、
「日暮里諏(ママ)神社祭(八月二十六日、二十七日)」として、次のように記されている。
社は日暮里谷中にあり、二日のお茶の間は、氏子たる下谷の各町にては競うて
囃子台、花車、揃い衣などで景気をつける。
この祭の神輿渡御は頗る盛んなもので、受け渡し手打式など言うは、
市中にて見ることの出来ぬ古式により、今も相変らず行われていると言うが、
これ全く、この辺はもう市中でちがって警察の干渉がさまで厳しくない為だとやら。

(『日暮里の民俗(荒川区民俗調査報告書 5)』 p.187)

例大祭と江戸里神楽

 前述のとおり、諏方神社では毎年八月下旬に例大祭が開催されます。新型コロナウイルスの影響で縮小などが続きましたが二〇二三年は八月二十五日に大祭式、翌二十六、二十七日には本社神輿渡御が執り行われ、久しぶりに盛大な祭りとなりました。また神楽殿では松本社中さんによる江戸里神楽が奉納され、多くの方が足を止めて楽しんでいました。


【写真 松本社中さんによる江戸里神楽の様子】


【写真 松本社中さんによる祭り囃子の様子】

【所在地・アクセス】

荒川区西日暮里3丁目4-8
JR線・東京メトロ千代田線 西日暮里駅より徒歩3分

【参考文献】

新修荒川区史 昭和三十年版 上巻』(荒川区 1955年)

荒川区史 平成元年版 上巻』(荒川区 1989年)

日暮里の民俗(荒川区民俗調査報告書 5)』(荒川区民俗調査団 1997年)

荒川区の歴史(東京ふる里文庫 19)』(名著出版 1979年)

あらかわ今昔ものがたり 続々(文化館*子どもブックス 3)』(荒川区立荒川ふるさと文化館 2019年)

「あらかわ区報Jr.」令和5年(2023年)9月27日(水)あらかわ今昔ものがたり〔あらかわの歴史と伝説〕その146 https://www.city.arakawa.tokyo.jp/documents/32231/20230927_0.pdf

【参考サイト】