南千住の史跡さんぽ~千住大橋から首切り地蔵の延命寺まで~

南千住の端から駅のあたりまでのお散歩コースです。

旅のしおり

1

千住大橋

隅田川最古の橋


 

旅のはじまりは、荒川区の端にある、松尾芭蕉の矢立初めの地として知られる千住大橋から。
千住大橋は、文禄2年(1593)三河国から江戸城に入ったばかりの徳川家康が、家臣の伊奈忠次に橋をかけるように命令し、翌年文禄3年に完成しました。
下流に両国橋が出来るまで「大橋」と呼ばれていました。

荒川区南千住6丁目71付近
 

02

米倉屋敷跡

広々とした屋敷跡が公園に




 

千住大橋の手前を左に曲がって住宅街を進んでいくと、大きな公園が現れます。
ここは下野国(栃木県)皆川藩主米倉氏の下屋敷があった場所です。
米倉屋敷跡は現在、天王公園という公園になっていて、人々の憩いの場として親しまれています。

荒川区南千住6丁目67番付近
 

03

東京スタジアム

井上省三君碑

耳を澄ますと、往時の歓声が聞こえてきそう





 

天王公園を出て少し歩いていき道路に突き当たると、ライフ南千住店が目の前に見えます。
すぐ近くには都立荒川工科高等学校があり、その前の道路にあるのは桜の木。
春には素敵な並木道を歩くことができます。
目線を前に向けると、広いグラウンドがあります。こちらはかつてのプロ野球球場、東京スタジアム跡地です。
東京スタジアムは、昭和37年(1962)に大毎オリオンズ新本拠地として建設されました。
現在の荒川総合スポーツセンターです。

球場内にはビリヤード室、ボウリング場なども設けられ、冬場はアイススケートリンクもありました。
町中に球場全体が浮かび上がるように見えることから「光の球場」とも呼ばれたそうです。
グラウンド脇には、この地にあった官営工場千住製絨所の初代所長である、井上省三(せいぞう)の功績を伝える井上省三君碑が建っています。

荒川区南千住6丁目45付近
 

04

千住間道

けっこう広いけど、間道

総合スポーツセンター前の千住間道を通って、南千住駅の方へ向かいます。

荒川区南千住6丁目45付近
 

05

円通寺

彰義隊の墓

黒門

幕末の激しい戦いに思いを馳せる







千住間道を右に曲がって日光街道に入り、少し歩くと、延暦10年(791)坂上田村麻呂が開いたと言われる円通寺が見えてきます。
こちらのお寺には幕末に新政府軍と戦った彰義隊の墓があります。
慶応4年(1868)5月の上野戦争では、多くの彰義隊士が戦死しました。

当時、円通寺の住職であった仏磨和尚と上野寛永寺御用商人の三河屋幸三郎が、官許を得て、遺体を円通寺に埋葬しました。
これが縁となって、明治40年(1907)寛永寺の黒門が円通寺に移されることになりました。

円通寺
荒川区南千住1丁目59番11号
 

06

延命寺

首切り地蔵

穏やかなお顔のお地蔵さまが見守る





日光街道から南千住仲通りを通って南千住駅付近へ。

首切り地蔵のある延命寺が建つ一帯には、かつて小塚原刑場がありました。
小塚原刑場では廃止される明治のはじめまでに、斬罪・磔・獄門などの刑が執行されました。
首切り地蔵は、ここでの刑死者や行き倒れた人々の菩提を弔うために、寛保元年(1741)に建てられました。

延命寺
荒川区南千住2丁目34番5号

 




今回の旅はここまで。
短い距離ではありますが、途中にはたくさんの史跡案内があって、新たな発見をしたり歴史を感じたりすることが出来る散歩コースです。
興味をひかれる史跡があったら、ぜひ図書館で本を探してみてくださいね。

 

07

図書館で本を借りる

また千住大橋の方へ戻ってきたなら

荒川ふるさと文化館

荒川ふるさと文化館は、古代から現代に至る荒川区の歴史・民俗資料を展示した施設です。

荒川区南千住6-63-1(荒川区立南千住図書館との併設)
03-3807-9234
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、毎月第2木曜(館内整理日)、年末年始
開館時間:午前9時から午後5時まで(展示室への入館は午後4時30分まで)
入館料:100円※

※荒川区民で中学生以下および65歳以上の方、障がい者及びその介助者は、証明書等の提示で免除