荒川区で最も歴史ある神社「石浜神社」
石浜神社は隅田川に架かる、白髭橋の北側にあります。
奈良時代に聖武天皇の勅命によって、神亀元年(724)に建立されました。
天照皇大神、豊受姫神の二柱をお祀りしています。
鎌倉時代、文治5年(1189)に源頼朝が奥州藤原氏討伐の戦勝祈願、
弘安4年(1281)に惟康親王(当時の征夷大将軍)が蒙古襲来の戦勝祈願をされたところ、
どちらも勝利し、東国の祈願所として有名になりました。
令和6年(2024)、御鎮座1300年を迎えた荒川区で最も歴史のある神社です。
当社は聖武天皇の神亀元年九月十一日の鎮座と伝えられ、
千二百有余年の歴史を持つ旧社である。もとより確証があるわけではないが、
末社牛頭天王の神輿に天正十五年丁亥の記文があり、更に摂社真先稲荷社は、
天文年間千葉守胤○二郎が石浜城の鎮守として建立したというから、
本殿である神明社もまた天文・天正の頃には現存し、その以前の草創であろう。
(新修荒川区史 昭和三十年版 下巻)
真先稲荷神社
浮世絵や錦絵等にも残されている真先稲荷神社。
豊受姫神を祭神とする神社で、天文年間に石浜城城主となった千葉之介守胤が宮柱を築き、
戦場に先陣先駆けの願いを込めたことから「まっさき」とも呼ばれていたようです。
真先稲荷神社は、江戸時代には石浜神社よりも有名で、「まっ先」にかけて参詣する人々で賑わっていました。
真先稲荷神社は天文年間の創建と伝えて、石浜神社の境内に隣接した独立の神社である。
千葉守胤が石浜城主だったときにこの地に宮柱を建て、
かの神璽を祀り、秀胤が鋳させた像を前立として、真先稲荷と崇め祀ったという。
(新修荒川区史 昭和三十年版 下巻)
招来稲荷神社
真先稲荷神社の奥宮として祀られました。
江戸時代、真先稲荷社が徳川家の祈願所だったことから一般の参拝は禁止されていたため、この奥宮を参拝していました。
奥宮の狐穴から現れる「お出狐」は対岸の三囲稲荷とともに有名だったようです。
お願いがある者が狐の好物を用意して、神主がおいでおいでと手をたたいて狐が出てきて食べたら願いが叶い、食べなかったら願いは叶わなかったといいます。
亀田鵬斎詩碑・都鳥歌碑
亀田鵬斎詩碑には、文政7年(1824)に石浜神社境内に建てられた碑で、
江戸の儒者・鵬斎の隅田川の詩2首が刻まれています。
石浜城や頼朝、道灌の歴史を偲ぶ詩です。
都鳥歌碑は、文化2年(1805)に石浜神社境内に建てた碑で、表面に伊勢物語の一節と和歌が刻まれています。
このほかにも境内には多くの社殿や石碑があり、
社殿それぞれに異なる神様が祀られています。
祭礼
令和6年5月24日~26日に御鎮座1300年の例大祭が行われ、群馬県下仁田仲町に譲られた「楠木正成」人形山車が、118年ぶりに里帰りし、石浜神社の氏子町地域を巡行しました。
神賑行事として、江戸囃子・里神楽、和太鼓や大道芸などが行われました。
令和2年12月に「石濱茶寮~楽~」がオープンし、浮世絵に描かれた豆腐田楽を味わうことができます。
ご本社の大祭は、境内で生姜を売ったところから生姜市と称された。
生姜は「穢悪を払って神明に通ず」(「本朝医法伝」)といういわれがあり、
大祭前々日の一四日から境内には多くの参詣人がつめかけて賑わったと伝えられる。
(石濱神社社誌―1250年記念―)
令和7年5月25日に御鎮座1300年舟渡御祭が行われました。
大正13年以来、約100年ぶりになります。
大鳥居
石浜神社の鳥居は「石浜鳥居」と呼ばれ、有形文化財に指定されています。
参道入口手前の第一鳥居は安永8年(1780)に、参道奥の第二鳥居は寛延2年(1749)に建立されました。
第一鳥居は横柱上部・笠木がカマボコ型に、第二鳥居は横柱の中央にある短い支柱・額束のある型となっており、
神明造りでは珍しいとされています。
【所在地】
東京都荒川区南千住3丁目28-58
【参考文献】
1 『新修荒川区史 昭和三十年版 上巻』(荒川区 1955年)
2 『新修荒川区史 昭和三十年版 下巻』(荒川区 1955年)
3 『石浜神社社誌ー1250年祭記念ー』(石浜神社社務所 1975年)
4 『荒川区の歴史(東京ふる里文庫 19)』(名著出版 1979年)
5 『荒川区の文化財(五)』(荒川区教育委員会 2024年)
【参考サイト】
- 石浜神社ホームページ https://www.ishihamajinja.jp/